先日、タイトルにある言葉を見つけました。
一生を尽くしてでも会わなければならない人
一体誰だろう?尊敬する経営者?自分を産んで育ててくれた両親?感銘を受けた人?影響を受けた人?
一生を尽くしてでも会わなければいけない人と聞いて、誰を思い浮かべましたか?
ちなみに僕は実家がお寺なので、こういう哲学的なことは色々学んできました。
なるほどなー。深いなー。と思ったのでシェアします。
一生を尽くしてでも
会わなければならない人
“それは自分”
マリアナ海溝くらい深いですね。
僕が好きな言葉にこんな言葉があります。
前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、
後(のち)に生まれん者は前(さき)を訪(とぶら)え。
親鸞『教行信証』
今を生きる僕たちは、これから世に生まれてくる人たちを導く役目があって、
今を生きる僕たちは、今の時代を作った先人が生きた道を問いたずねよう。
という意味です。
「たずねる」とは「訪ねる」なので、その人の生きた道に訪れるということなんですが、これも深いです。まーそれは置いといて、
表題タイトルと、今挙げた僕が好きな言葉は、どちらも自分にフォーカスされています。
良いニュース・悪いニュース・悲しいニュース、たくさんの情報で溢れている世の中ですが、ほとんどの人が自分の内部ではなく外部に目を向けてしまいます。
仕事の愚痴や不満は、外部に目を向けた結果ですね。なぜ愚痴や不満を言っているのか自分に質問してみても、大体が相手のせいです。
自分はどういう人間なのか、自分が生きてきた道や、思考、感情、考え方、なぜ今の自分が形成されたかなど、真剣に自分自身を訪れている人は結構少ないんじゃないかなと思います。
一生を尽くしてでも自分自身と会うという問題は、もしかしたら一生かけても解決しないかもしれません。
ですが、外部に目を向けてばかりで自分が忙しく振り回される人生より、自分内部に目を向ける方が外部に振り回されることもありませんし、例えお金がなくても自分を訪れて解決した結果であるなら、それは豊かな人生だと言えるでしょう。
豊かな未来を実現したいなら、現在地、つまり自分はどういう自分かを知る作業が必要になります。
その作業によって自分に足りないところが見えてきて、それを補ってまた足りないところが見えてきて、、、
それは一生かけて続けていく学びだと僕は思っています。
それでは。